評論家に解説してもらわないと意味が分からない映画

町山智浩(id:TomoMachi)さんの映画評論がとても楽しくてここ数日ずっとポッドキャストなどを聞いていた。

以下の動画で町山智浩さんが映画評論について論じている。
D
マチマル:町山智浩さんと宇多丸さんはどのように映画と世界を見ているのかがとても見易く講演の内容をまとめてくれている。

これについて思う事。

「ストーリーを読み間違ってはいけない、好き勝手に解釈してはいけない」という主張はとても納得出来る。しかし

周辺にあるものを調べなければ絶対に読み違う
普通の観客は、そんな時間もないし、そこまでする必要はない。

とも言っている。

これはつまり、普通の観客は読み違いをしてしまうが、それは仕方ないと言っている。

ここで素朴な疑問がわいてくる。ストーリーを読み間違ってはいけないのに、普通に見てたら読み違いをしてしまうようにできてる映画なんておかしくないか?

私が抱いた疑問と似たような疑問はこの講演内で質問されていた。

質問者「2001年宇宙の旅ではナレーションをカットしたり、場面をずらしたりしたりすることで、その場面が分かりにくくなり、結果色んな解釈をされることになってしまった。それはキューブリックが意図したことなのか?」

町山「意図しています。人間は一方的に押し付けられたことには反発するが、自分で気付いたことは受け入れられる。気づく人は少ないかもしれないがより良く気付いてくれる。自分で考えて一番いい形で理解しうる。」

この町山さんの回答自体はとても納得出来る。

しかし気付きとは何なのか。

町山さんが提示している、2001年宇宙の旅イレイザーヘッドの正しい解釈は映画内の情報だけでは辿り着くことができない解釈だ。

町山さんが得ることができた正しい解釈は気付きではなく映画評論家としての調査の結果得られたものなのだ。

火曜サスペンス劇場の犯人がラストで初登場するのがルール違反であるのと同じように、映画内だけではストーリーが読めず評論家が調査をしないとストーリーが分からない映画なんてルール違反じゃないのだろうか。単に伝える努力がされていない映画じゃないのだろうか。キューブリックデビッド・リンチのような名のある監督だから何とかなっているのであって、新人の監督が同じ事をやっても意味不明と一蹴されてお終いじゃないだろうか。